ミニマリストに憧れていたころ
ミニマリストという言葉に、少し憧れていた時期がありました。物が少なくて、部屋がすっきりしていて、毎日が「整」っている感じ。「持たない暮らし」は、きっと心まで軽くしてくれるんだろうな、と思っていました。
本や服、雑貨を見直して、思いきって手放してみたこともあります。使っていないもの、迷うものは、とにかく減らすことが正解だと思っていました。部屋は確かにすっきりして、掃除も楽になりました。
でも、しばらくすると、少しだけ違和感が出てきました。物は減ったのに、気持ちが満たされていない。好きだったものまで「減らす対象」として見てしまっていたことに、気がついたんです。
減らすことが目的になっていた
物を手放すことに、少し夢中になっていたのかもしれません。減らすたびに達成感があって、もっとすっきりさせたくなる。気づけば「まだ多い、もっと減らせる」と考えるようになっていました。
でもある日、ふと部屋を見渡したとき、なんだか殺風景だなと感じました。物が少ないのに、なぜか落ち着かない。好きで集めていた本も、大切にしていた雑貨も、いつの間にか手放してしまっていました。
物を減らすことは手段のはずだったのに、いつの間にか目的になっていた。そのことに気づいてから、少し立ち止まって考えるようになりました。
自分なりの「ちょうどいい」を見つけた
そんな中で、ひとつだけ続いていることがあります。それは、服の数を少なめにして暮らすこと。
服は、数が多いと選ぶだけで疲れてしまうし、結局いつも同じものばかり着ていました。だから今は、本当に着ている服だけを残して、枚数を絞っています。朝、迷わなくなったのは、思っていた以上に楽でした。
一方で、書くたびに気分が上がる手帳も、部屋にあると落ち着く物も、猫たちのために置いている物も——私にとって「なくしたくない暮らしの一部」です。
それらは、数が多いわけじゃないけれど、あることで暮らしが豊かになるものです。減らすかどうかは、「使っているかどうか」より「あることで気持ちが整うかどうか」で考えるようになりました。

憧れたから、自分に合う形がわかった
ミニマリストの暮らしは、とても素敵だと思います。 でも、それをそのまま真似しなくてもいい。
服は少なく、その他は無理をしない。 今はそのくらいが、ちょうどいいと感じています。
物の多い少ないより、自分が心地よく過ごせるかどうかの方が大事だと気づきました。誰かの「理想の暮らし」ではなく、自分にとっての「ちょうどいい」を探していけばいい。
ミニマリストにはなれなかったけれど、憧れたからこそ、自分に合う暮らし方がわかりました。 それも、悪くはないなと思っています。


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